本日は、仙台にて打ち合わせ。 打ち合わせ完了後 群馬の高崎まで移動 高崎にて宿泊。
3日ぶりに ふとんで寝れる幸せを感じる今日この頃 先週の金曜日から 東京の打ち合わせの後、
宮城県石巻に向かう。
金沢からの泥だしツア-に土曜日の朝 合流。
石巻の専修大学のボランティア本部に着くと、10日前とは大違いで 数百名のボランティアが全国から
集まっていて、駐車場とグランドには車とテントがぎっしりとひしめいていた。
社会福祉協会の割り振りの元、我々 金沢からのボランティアの一行はバスで泥だしと瓦礫撤去の
場所へと10時頃 移動する。
我々が行った先は祝井町と佐須の浜という漁師町。
40件程の小さな町は瓦礫の山と化していた。
担当する家屋に着くと、瓦礫が家の廻りを覆い尽くしている。
何から手を着けていいのか、その光景の前に茫然とする。
家屋の御主人の指示で家屋の廻りを歩けるように 瓦礫を撤去してもらいたいという
指示に従って、グル-プ分けした9名で 瓦礫を一つ一つ撤去していく。
おそらく一人でやっていくと 気が遠くなっていくだろうと思う。
休憩をとるまで2時間程度 作業を続けると 家の廻りが少しづつではあるが
綺麗になっていく。
今日 一日で何処まで出来るだろうかと不安を感じながら作業を進める。
2日間の作業を終えた頃には、なんとか家の前を歩けるように少しはすっきりとした。
ふと、庭先の植え木を見ると 梅の花が 一つ咲いていた。
おそらく津波に覆われて倒れかけたはずなのに、なんとか枯れずに 綺麗な花を
咲かせていた。
この一つの花が、一筋のほんのかすかな希望を訴えているようで いとおしくなった。
暫く 花に見とれていた。
今回の瓦礫の撤去作業をする中で、自分自身の無力感を大きく感じていたが、そんな心を
この一つの花が やさしく見守ってくれているようで
只、只 暫く 見とれていた。
震災後、3週間がたつこの日に 瓦礫の撤去が全く 手着かずでボランティアの手でかすかに
行われていく様が なんとも 寂しかった。
作業の休憩中に家屋の御主人が 震災時の状況 復興の覚悟を語ってくれた。
時折 声を詰まらせ 涙を流しながら もう一度 ゼロから頑張るという御主人の
遠くを見つめながら 口びるをかみしめて 涙を流す 目を見ていると
涙が 出てきた。
私達に何ができるだろうと 頭を巡らせるが 答えは直ぐには見つからなかった。
只、必ず復興して下さいよ、 必ず私達も又 応援に来ますから というのが 精一杯だった。
最後の別れ際に 全員と握手しながら 涙を流されている 御主人の姿に 涙をこらえきれなくなった。
今回で被災地に入るのは、3回目となったが 来るたびに 大きな学びと 感動と色々な問題が
浮かびあがつてくる。
今回も何ができるのか、深く感じさせられた。
今こそ みんなで知恵を絞って 出来る事を考えて動いていこうと 心に誓う。
感謝、感謝。





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