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感動経営を目指す、小さな会社の経営者です。 感動を与える仕事、感動を感じる職場、感動を感じる人間を めざして、今、自分にできる事を日々、成長しながら感動の中で 生きていけたら最高です。
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本気塾スタ-ト
第3期 北陸本気塾が4月23日から 第一回目 合宿からスタ-トした。
今年は、震災で本気塾の段取りも 中途半端になり 申し訳ないと
思いながらも、なんとか 7名の塾生を迎えて 開始出来る事が
できて内心、ほっとしている。

本気塾は、私自身も2期塾生で過ごし、

世話人としても2期経験し、ここにきて ようやく

本気というものが、何となく胎に落ちかけてきたように感じます。

先日、自社の花壇で 花を鉢植えしようとしていて、

ゴ-ルドマリ-の花を数十鉢植えようと買いこんで、

忙しさのあまり、そのまま数日 放置していたら

花は一向に育つていなく、慌てて鉢を植え替えしていると

ビニ-ルの小さな鉢の中は、びっしりと根がひしめいていた。

大きな花壇の中に植えなおすと、みるみると 育っていくのが

日に日に分かった。

この時、ふと 腑に落ちた。

人も花も一緒、

しっかりと大地に根っこを張らないと、花も身も育っていかない。

人もこの 普段は隠れている根っこの部分 (志)をしっかり張らないと

花も身も咲かない、

本気塾で過ごしてきた期間、じっくりと この根っこを張る作業を

してきた事に今更ながら、気づいてきた。

本気塾とは、この根っこを張り巡らせ 強く強固な根っこを

育てる場所。

この根っこを張らないと、咲いた花は 小さくて か細くて

直ぐに 枯れてしまう。

根っこをしっかりと張ってると やがて 大きな 鮮やかな 花を実らせる

これからは、しっかり張った根っこから 充分な栄養分を吸収して

しっかりと、茎をのばして 花を咲かせる タイミングが

ようやくやってきたように感じる。

今から、本気で しっかりと 鮮やかな 花を実らせて 見せよう。

感謝、感謝。






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東日本大震災を経験して、今 私達ができる事 間寛平、てんつくマント-くライブ決定
東日本大震災を経験した私達が、諦めずに 本気で 動き続ける
今、私達にできる事
寛ペイちゃん とてんつくマンを交えて、
真剣に 考えよう  企画



ア-スマラソンを先日、完走した 間寛ペイちゃんが
金沢にやってきます。
彼がなぜ、この夢を描いたのか、
どんなメッセ-ジが伝えたかったのか、
途中、癌である事を告知され、 現地で手術を受け
もうだめかと 考えた末、
又、走り続ける事を選択し
命を削って 走り続けた
彼が見ていたものは、何だったのか
余すところなく 本音のト-クをしてもらいます。
特別出演として、大橋 正信、てんつくマン
そして、今回 寛ペイちゃんの 新曲をこのために
作曲してくれた、ロックバンドおかん が 寛ペイちゃん
へのエ-ル曲を熱唱してくれます。


i日時  10月23日  17:00~20:00

場所  金沢歌劇座

入場料 3,000-

司会  大橋 正信 (大阪維新会代表)

出演者   間 寛ペイ

てんつくマン

ロックバンド おかん

主催 北陸本気塾、 日本復興プロジェクト

*今回の講演会は、多数の申し込み、問い合わせが殺到しており
 定員になり次第、締め切りますので
 お早目の申し込み、前売り券の購入をお願いします。

問い合わせ、申し込み
sinsei@mti.biglobe.ne.jp


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子供達に何が 出来るか
本日は、久しぶりに朝から晩まで 事務所に閉じこもり
書類作成に専念。

金沢からおとついまで、石巻で炊き出しをしてくれていた

村田さんから、連絡を貰い 向うの様子を聞きながら、

無性に血が騒いできた。

仲間の一人が、被災状況のひどかった女川町をまだ 北に上っていくと

警察も自衛隊も入っていない、避難所があったそうで そこに避難されている

男性の方と話をする事ができたそうです。

その内容は、その村では今回の震災で孤児となった子供達が27名いるそうで

毎晩、夜になると 寂しさのあまり 海岸の瓦礫の山に 親を探して

さまよっているとの事。


なんとも やるせない話である。

私達に何ができるのか?

とりあえず、次の炊き出しプロジェクトを利用して そこを訪ねてみよう

と今、次のプロジェクトに協力してくれるというメンバ-に知らせて

どんな事ができるか、みんなで知恵を出そう と連絡した。

何ができるか分からないが、もし その子共たちがこれから生きて行く上で

心の支えになれるような そんなものを出来ないか

精一杯 みんなで考えてみようと思う。

最近、強く感じる事は

ボランティアという言葉はあまり好きではないが、

やり続けるのは

何かの為ではなく、

理屈なしで 只 嬉しいから 

これが すべての基本のように感じる。

仕事も 遊びも、 ボランティアも

全て それをする事で 喜びを 強く感じるから

単純にそれだけだと 思う

生きてきた意味は まだまだ 分からないが

もし 天命というものがあるなら、

誰かが 心の底から 感激して 涙を流してくれるなら

その瞬間を感じる事が 最高の喜びだと 単純に感じる。

生きていて良かったと 最高に感じられる

日を送れる事が 最高の喜び

感謝、感謝。


























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日本復興プロジェクト
日本復興に向けて、プロジェクト開始



今回の震災は、日本復興への最後のチャンス という思いを感じてます。

被災地に行ってみたら、全国から集まったボランティアで一杯でした、

その殆どの方が、20代という感じでした。

震災前に 世間で言われていた事を考えると、20代のフリ-タ- 二-トは

一体何を考えているのか?

と閉塞感ばかり 言われていましたが、日本国の一大事に真っ先に被災地に

駆けつけて来た、大半の人間が、20代でした。

彼らは、しっかりと心の中に日ノ丸を掲げていました。

日本はまだまだ 捨てたもんじゃない。

そんな感動で血が久しぶりに騒ぎました。

今まで、心の奥底に閉じ込められていた 日本人の底力が

今回の震災でわき出ているかのように感じます。

瓦礫出し、泥だしのボランティアに行ってきて、無力感を感じてきました。

全く、ボランティアの絶対数が足りていない。

今こそ、海外に日本の底力をみせて 絶望を希望に変える国にならないと

日本が沈没してしまいます。

今回の震災の本当の意味は、この東北の復興が終わった後にあると感じています。

今の日本人のマインド、閉塞感でこの復興が終わると、そのあと 日本はどん底の経済状態

がやってきます。 放射能で侵された国の行く末は日本沈没。

この震災をきっかけに、本来の日本人の魂を呼びおこすには、このくらいの衝撃が必要だった

と天の声が言っているように思います。

日本人は、日の丸を背中に背負うと血が騒ぎ、底力が出てくる というDNAが 埋め込まれていると

感じます。

この連休に何人かで、瓦礫撤去と炊き出し、仮設風呂の設置を行う予定でいます。

一人でも多く 一緒に行ける方の力を貸して頂きたいと願っています。

1日でも早く、東北を復興して、その勢い 新しいネットワ-クで次は 日本を復興につなげていくには、

今、動かないと 、   そんな事を感じております

御協力をお願いします。
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最高のプロモ-ションビデオ
本日は、久しぶりに大阪の自宅で過ごす。

土曜日と月曜日に大阪の業者と打ち合わせの為、久しぶりの大阪の空気をすう。

メ-ルをチェックしていると、本日 ロックバンド おかんが 東北震災チャリティ-イベントを

南港で開催している事を知り、久しぶりの生の おかん の歌が聞きたくて

南港まで足を延ばす。

会場に着くと、野外でコンサ-トが行われていた。

驚いた事に福井からキヨポンと金沢から松本さんも駆けつけて 義援金を

集めていた。

被災地に行ってきたというダイ君の話を聞いていると、現地で2箇所でライブを

行ってきたという、 歌ではいやせない壁を感じて帰ってきたという 言葉が

印象的だった。

ダイ君が、後で 映像を見てほしいというので、ライブの後 その映像を車の中で

見させてもらった。

何となく、神妙な顔をして見て下さい と言うので 一人彼らのバンに乗り込み

ヘッドホンで音を聞きながら見入る。

暫くして、映像の内容、概要、神妙な顔の分けが理解出来てきた。

彼らの歌に 向日葵 という曲があり そのプロモ-ションビデオの作りかけの途中のものだった。

15分程のビデオの映像を見ながら、私は涙をこらえる事ができなかった。

この曲は、彼のおじいちゃんの事を歌ったもので、父親のいない 彼を親父変わりに育てた

おじいちゃんの為に書いた曲である。

ある日、入院したおじいちゃんの病院へ行くと おじいちゃんがぼけていて 痴呆症が進行している

おじいちゃんに会うのがつらかったという内容の歌だった事を思い出しながら その映像に見入っていた。

彼がおじいちゃん入院先に訪ねて、耳元で 向日葵を泣きながら おじいちゃんの為に泣くのを必死に

こらえながら歌っている 生の映像を撮影したものだった。

その映像の後に、おかんの 向日葵 という曲が始まる映像になっていた。

彼らの歌の間は、映像がまだ作られていなかった、未完成のプロも-ションビデオだった。

彼が私にこの映像を見てほしいという 意味が分かってきた。

彼らの歌う曲の映像は、向日葵の竹とうろうが まさに ぴったりと あてはまる。

彼のイメ-ジする映像と おそらく私のイメ-ジした映像は 同じものだと 直感で感じた。

真っ暗のステ-ジの上で 向日葵の竹とうろう畑に囲まれ 魂を震わせて歌っている

姿が 脳裏に見えてきた。

これは、最高のビデオになる。 

映像を見終わると、彼が この編集をしながら 私の事が頭に浮かんで この事を伝えたくて

電話をくれていたらしい。 

今日、この会場に来たのは、何となくではなく、引き寄せられていた事を感じた。

次の北陸のライブまでに 大きな宿題ができた。

これは、本気でいかないと時間がないなと 気合いが入る。

本気のスイッチが、又 一つ オン になった 感触を感じて 会場を後にする。

人生は、本気になれば ますます 本気のスイッチが入る事が 面白いように

次々に起こり出す。

感謝、感謝。









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瓦礫泥だしツア-
本日は、仙台にて打ち合わせ。 打ち合わせ完了後 群馬の高崎まで移動 高崎にて宿泊。

3日ぶりに ふとんで寝れる幸せを感じる今日この頃 先週の金曜日から 東京の打ち合わせの後、

宮城県石巻に向かう。

金沢からの泥だしツア-に土曜日の朝 合流。

石巻の専修大学のボランティア本部に着くと、10日前とは大違いで 数百名のボランティアが全国から

集まっていて、駐車場とグランドには車とテントがぎっしりとひしめいていた。

社会福祉協会の割り振りの元、我々 金沢からのボランティアの一行はバスで泥だしと瓦礫撤去の

場所へと10時頃 移動する。

我々が行った先は祝井町と佐須の浜という漁師町。

40件程の小さな町は瓦礫の山と化していた。

担当する家屋に着くと、瓦礫が家の廻りを覆い尽くしている。

何から手を着けていいのか、その光景の前に茫然とする。

家屋の御主人の指示で家屋の廻りを歩けるように 瓦礫を撤去してもらいたいという

指示に従って、グル-プ分けした9名で 瓦礫を一つ一つ撤去していく。

おそらく一人でやっていくと 気が遠くなっていくだろうと思う。

休憩をとるまで2時間程度 作業を続けると 家の廻りが少しづつではあるが

綺麗になっていく。

今日 一日で何処まで出来るだろうかと不安を感じながら作業を進める。

2日間の作業を終えた頃には、なんとか家の前を歩けるように少しはすっきりとした。

ふと、庭先の植え木を見ると 梅の花が 一つ咲いていた。

おそらく津波に覆われて倒れかけたはずなのに、なんとか枯れずに 綺麗な花を

咲かせていた。 

この一つの花が、一筋のほんのかすかな希望を訴えているようで いとおしくなった。

暫く 花に見とれていた。

今回の瓦礫の撤去作業をする中で、自分自身の無力感を大きく感じていたが、そんな心を

この一つの花が やさしく見守ってくれているようで 

只、只 暫く 見とれていた。

震災後、3週間がたつこの日に 瓦礫の撤去が全く 手着かずでボランティアの手でかすかに

行われていく様が なんとも 寂しかった。

作業の休憩中に家屋の御主人が 震災時の状況 復興の覚悟を語ってくれた。

時折 声を詰まらせ 涙を流しながら もう一度 ゼロから頑張るという御主人の

遠くを見つめながら 口びるをかみしめて 涙を流す 目を見ていると

涙が 出てきた。

私達に何ができるだろうと 頭を巡らせるが 答えは直ぐには見つからなかった。

只、必ず復興して下さいよ、 必ず私達も又 応援に来ますから というのが 精一杯だった。

最後の別れ際に 全員と握手しながら 涙を流されている 御主人の姿に 涙をこらえきれなくなった。

今回で被災地に入るのは、3回目となったが 来るたびに 大きな学びと 感動と色々な問題が

浮かびあがつてくる。

今回も何ができるのか、深く感じさせられた。

今こそ みんなで知恵を絞って 出来る事を考えて動いていこうと 心に誓う。

感謝、感謝。

梅2
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